【埼玉】地元をいちど離れてみるということ

 
 
 

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こんにちは、埼玉県日高市のちい記者の茂木です。

人によりさまざまな始まりがある4月も終わり、新緑の5月になりました。みなさんはこの春のはじまりを、どんな風に過ごされたでしょうか?

日和田山を望む、菜の花咲き乱れる巾着田。私の“ふるさとの原風景”といえばこの景色です。

私はこの4月に2つの大きな変化を経験しました。

1つはこれまで自分のアイデンティティのひとつであった“学生”という時期がおわったこと。もうひとつは、20年間過ごしてきた”地元”日高を出て新潟県十日町市で一人暮らしを始めたことです。

 

新天地は新潟県十日町市

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今住んでいる新潟県十日町市は、ちい記者の福島さんがお伝えされているように、日本有数の豪雪地帯でもあり、見事な棚田風景が育む天下一品コシヒカリの名産地でもあり、地域を巻き込んだ“芸術の祭典”越後妻有アートトリエンナーレの開催地でもある土地です。

 

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私が現在お世話になっているのは市内でも北東の端に位置する山間部の莇平(あざみひら)という20世帯ほどの集落。

この集落では2003年から「明後日新聞社文化事業部」という“作品”が廃校につくられ、実際に地域の出来事が新聞となり配布されたり、はたまた“新聞社員”が地域の行事に参加したりと現在も交流が続いています。

去年1年縁あって巡り合ったこの場所に運命を感じて、これからの自分の人生にどう舵をとるかを考えた時にこの土地で生活する中で、もっと多くのものを学びとりたいと此処にくることを決めました。

・明後日新聞社
http://asatte.jp/

 

「地元を離れる=諦め?」

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もちろん、地元を離れるにあたり、本当に悩みました。これまでお伝えしてきたように私は地元日高の生活に溶け込んだ味わい深い良さが本当に気に入っていましたし、志をと活動をともにできる仲間もいます。

「地元が嫌なわけではないのにどうしてわざわざ離れるのか?」「それは地元に対する諦めではないのか?」という声もあるかもしれません。実際に私の住んでいる日高でさえ、若い人はどんどん離れていきます。

でも、私にとって、このタイミング地元を離れることにはひとつの大きな意味を見出したいと思っています。

 

離れるからこそ見えてくるもの

ちい記者

 

私はまだ、地元埼玉での、あるいは通学していた東京での暮らししか知りません。

ちい記者になって、各地のさまざまな暮らしを目にすることができるようになったといっても自分の実感として、“地方で暮らしていく”ということはまだテレビやインターネットの向こう側のことでしかありませんでした。

でも地域手帖に出会って一番感じたのは、「都会と地方」という対象軸ではなく「日本中どこだって地方のひとつであって、それぞれの暮らしに多様性がある」のだということです。そして、その多様性に気づくには一度違った視点を自分の中に取り入れないといけない。

「日高ってやっぱりいいところだよね」というだけでなく、他のところに住んだからこそ見えてくる良さがきっと見えてくると思います。

ほどよい距離を自分の中でおくことで、自分の中でのふるさとの印象がまたいい具合に醸成されていってほしいとも思います。

 

ふるさとが2つになること

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いまは交通もどんどん便利になっているし、2つの地域を行き来しながら“ダブルローカル”という生き方を選択するひとびとも増えてきています。

地元を離れるということがただ単に地元を捨てるというようなことではなくて、地元から出た先で得たものを地元に帰ってどこかに還元できるような、もちろんそれは実際のお土産だって知恵だって豆知識だっていいのですがそんなことができれば素敵ですよね。

そうやって地域の良さが人を介して交換されていくことってもっとあっていいと思います。

 

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帰りたい”という場所がふたつもみっつもできていくこと、地方で暮らす、都市で暮らすというぱっきり二者択一ではなくて、“あそこもここも私のふるさと”という安心感はなにものにも代えがたい財産になるのではないでしょうか。

莇平と、日高どちらにもそれぞれにしかない良さがあり、優劣をつけるようなものでなくどちらも楽しんでいきたい。

新潟でのこれからの出会い。日高に帰ったときの気づき。ちい記者としてどちらも少しずつお伝えしていけたらいいなと考えています。

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